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スポーツ360/スポーツ500のバイオグラフィー

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※この稿は、「Honda Sports360(スポーツ360/S360)に関する研究・考察」と「Honda Sports500(スポーツ500/S500)に関する研究・考察」の両方からリンクしています。

(2013/11/28 改訂)

スポーツ360とスポーツ500の開発の経緯については、「各試作車の開発の経緯TAS-260)(AS-250)(AS-280)」でも解説していますが、当該ページを執筆した以降に寄せられた情報によって新たに判明した事実などがあることと、スポーツ500にはスポーツ360と不可分の関係にあるモデルがあり両車を絡めないと解説できない部分もあることから、このページでスポーツ360とスポーツ500のバイオグラフィーを一括して解説することにしました。
内容的には「各試作車の開発の経緯」と重複する部分が多いですが、今回初めて公表する情報もあり一読の価値はあるかと思います。
駄文ですが、最後まで読んで頂ければ幸いです。
  
ということで、いきなり本題に入ります。
下掲の年表をご覧下さい。(年表は縦が時間軸、横がモデルの種別になっています)

これが、新たに寄せられた情報を加味した最新版の開発年表です。
情報のソースは1次資料や当事者の証言ですが、情報の出所などの詳細は都合により明かせませんので、予めご承知おき下さい。
 
それでは、ホンダスポーツの始祖であるスポーツ360(以下、TAS260と表記)から解説しましょう。
1962年6月5日に催された第11回全国ホンダ会に、軽スポーツを出展することが指示・企画されたのは、中村良夫氏が記した『技研に於ける4輪開発の経過(下掲の画像)』に拠ると’62年1月のことです。
この時製作されたのが、スペースフレームにFRP製のボディを架装したTAS260でした。
(芸文社 Nostalgic Hero Vol,88 P78より引用/クリックで拡大表示
TAS260は車体色が赤とシルバー(又は白)の2台が作られ、ホンダ会でお披露目されました。
ホンダ会の映像を、YouTubeに「Soichiro Honda who drives "Honda Sports360"」というタイトルでアップしていますので、興味のある向きはご覧になってみて下さい。
ホンダ会終了後、車体色が赤の個体が第9回全日本自動車ショーのオープニングパレードで使用され脚光を浴びますが、その後、時期は不明ながら赤/シルバー(又は白)の2台とも廃棄処分されたようです。
但し、ヘッドライトカバーなど一部の部品が現存しています。
 
 
続いて製作されたのは、スポーツ360としては2代目のモデルになる’62年型スポーツ360(以下、2XAS250と表記)です。
また、2XAS250と同時進行で’62年型スポーツ500の開発もスタートします。
両車の車体はラダーフレーム/鋼板ボディという構成で、第9回全日本自動車ショーへの出展を目的に製作されました。
製作台数は各車2台ずつの計4台ですが、2XAS250は車体色がシルバーの個体1台のみが第9回全日本自動車ショーに出展されました。(’62年型スポーツ500は2台出展)
もう1台の赤の2XAS250は、'62年10月20日にホテルオークラで開催されたプレス発表会や、第9回全日本自動車ショーが終了した直後の’62年11月に、荒川テストコースで行われたプレス向け試乗会でお披露目されています。
また、時期は不明ですが、赤の2XAS250は鈴鹿サーキットで行われたカーショーにも出展されたようです。↓
クリックで拡大表示
シルバーの2XAS250は、’63年3月に日光周辺で行われた寒冷地テストにテスト車として駆り出されています。
’62年型スポーツ500は、2XAS250と同時進行で開発された車輌のため、設計の殆どをAS250と共用していたようです。
モノの本に拠ると、シリンダーヘッドやシリンダーブロックなども2XAS250と同じものが使われていた由。
この’62年型スポーツ500の最大の特徴は、車体幅が軽自動車の2XAS250と一緒だったことです。
Old-timer誌では、ナロートレッド型などと呼んでいますね。
当時の関係者の証言に拠れば、’62年型スポーツ500は2台とも廃却されたようです。
 
以上の車輌は、全て研究所(白子/和光)で製作されました
 
 
次に作られたのは、’63年型のAS250です。
この63型AS250は、Old-timer誌95号に拠ると、私が予想した通り「2X-AS250」と呼ばれていたようです。(OT誌では2X改AS250となっていますが“改”の意味は判りません。まあ、字面通りの意味だと思いますが…)
63型が“2X”だったということは、62型AS250は「1X-AS250」或いは「X-AS250」と呼ばれていた可能性が高そうです。

2013年11月8日に発行された「HONDA SPORTS360 復刻プロジェクト "技術の伝承 " 」に拠れば、’63年型のAS250には2つのタイプがあったようです。
ひとつは2X改AS250、そしてもうひとつが3XAS250
2X改AS250は2XAS250の改良型と推測され、2X改AS250を写した写真が技研弘報NO,21(1963年4月1日発行)に掲載されていることから、製作されたのは'63年3月以前と考えられます。
3XAS250に関する詳細な資料は残っていないようですが、機種別生産実績(浜松製作所で生産された車を記録した台帳)にスポーツ360の生産記録が記載されており、この浜松製作所で製作されたスポーツ360が3XAS250だと当サイトでは推測しています。

この
3XAS250は、浜松製作所で’63年4月〜6月の間に8台製作されています。各月の完成台数は年表に記した通り。
4月の生産分で、「半完成車5台」というのがありますが、これは研究所の依頼により作られたもので「フレーム+足まわりのみ」の車輌でした。
半完成車は全て研究所に送られ、車体サイズや排気量が拡大された“拡大版スポーツ500”(OT誌風に言うとワイドトレッド型)の試作開発に流用されています。
 
上記のように半完成車が研究所に送られたのが4月、スポーツ500の価格当て広告が新聞に掲載されたのが6月であったことを考えると、価格当て広告に使用された右ハンドル車やアメリカテスト車(左ハンドル車)が半完成車をベースに作られた個体で間違いなさそうです。
また、Old-timer誌90号に掲載された現存している4号車も、オーナー様から直接伺った車体各部の特徴から、半完成車をベースに仕立てられた個体であると私は推測しています。
W.Assy(ホワイトボディ・アッセンブリー)は、塗装前の溶接工程まで済んだもので、完成はしていません。
 
Old-timer誌95号を読まれた方には、3XAS250の各月の生産台数がOT誌の記述と一部違うと突っ込まれそうですね。
この件に関しては、OT誌の取材に立ち会われた方に事情を伺っています。
数字に齟齬が生じる理由は、夫々ソースが違うからです。
Old-timer誌95号には「一部の専門誌に記載されているごとく…」との記述があるため、ともすると別冊CGホンダ・スポーツと同じソースの数字と勘違いしてしまいがちですが、実際は然に非ずで、OT誌の数字は別冊CGホンダ・スポーツとは別のソースのものなのだそうです。
但し、ソースとしている資料自体は別冊CGもOT誌も(拙サイトも 笑)ホンダの1次資料で確かなものであり、何れかが間違っているという訳ではありません。
引用している資料が異なるが故の食い違い、ということです。
   
さて、ところで3XAS250はどうして研究所ではなく浜松製作所で作られたのでしょうか?
この疑問は、’63年型スポーツ500の開発の経緯を紐解くと解明できそうです。
’63年型スポーツ500は、前述のようにまず研究所で試作車が作られました。
研究所で作られた試作車のベースとなったのは、スポーツ360の半完成車です。
製作時期は'63年4月〜6月頃と思われます。
Old-timer誌95号に拠ると7月以降、浜松製作所で量産試作車の組み立てが始まったようです。
つまり、開発試作は研究所で、量産試作は生産設備のある浜松製作所で行われたと考えられます。
このことは、スポーツ360にもあてはまると考えるのが自然でしょう。何故なら、同じ会社内のことだからです。
ということは、浜松製作所で生産された3XAS250は量産試作車だったと考えられます。
浜松製作所でスポーツ360の量産試作車が作られていたということは、ホンダは少なくともこの時期(’63年6月頃)までスポーツ360を市販する腹づもりがあったということです。
3XAS250をどうして浜松製作所で作ったのかと言えば、それはスポーツ360を市販する計画があったからに他なりません。それが証拠に、ホンダは販売店に下掲のような資料を配付しています。クリックで拡大表示

2枚目の画像には「近く発表発売されるものと察せられます」との記述があり、断定こそしていませんが遠回しに発売を示唆しています。
何かの本で、“スポーツ360は早い段階で量産が見送られた”という記述を見たことがありますが、T360が’63年6月に量産を開始し同年8月に発売されたことを考えると、6月頃まで生産設備を整えた浜松製作所で量産試作車が作られていたスポーツ360は、販売直前まで漕ぎ着けていたと言えるのではないでしょうか。
しかしながら、悲しいことにスポーツ360はついぞ発売されることはありませんでした。
 
当時の関係者の証言に拠ると、鋼板ボディのスポーツ360は全て500に作り替えられたそうです。
この証言が事実ならば、スポーツ360の改修作業が行われたのは、おそらく7月以降(量産化断念後)だと思いますが、8月14日に荒川テストコースで行われたスポーツ500のプレス向け試乗会に、参考車としてスポーツ360が1台ないし2台持ち込まれていたらしいので、全てのスポーツ360の改修作業が済んだのは8月以降と考えられます。
スポーツ360の改修作業が行われた場所は、証言者が自ら作業を行ったとのことなので研究所で間違いないでしょう。 
('63年8月14日に荒川テストコースで行なわれた、スポーツ500のプレス向け試乗会の場にスポーツ360が持ち込まれて事実は確認できませんでしたので、上の記述を取り消します。)


Old-timer誌95号に拠ると、7月から浜松製作所でS500の量産試作車の組み立てが始まっています。
08/06/08追記:「あおい弘報 No,108('63年6月発行)」に拠ると、S500量産試作車の組み立てが始まったのは'63年6月16日からだそうです。1号車が完成したのは翌日の6月17日。)

各月の生産台数はOT誌を見て頂くとして、思いのほか多くの台数が作られていたことに私は驚きました。
拙サイトに「試作車一覧」というページがありますが、全ての試作車を試作車一覧に掲載するのはとても無理そうです。
浜松製作所で作られたS500量産試作車には、価格当て抽せん会の会場に展示された赤の右ハンドル車やリェージュ - ソフィア ラリーに出場した左ハンドル車(2台)、独語/仏語カタログに使用された左ハンドル車、荒川試乗会で試乗に供された右ハンドル車(3台)、第10回全日本自動車ショー出展車(3台)などがありました。

 
…はなはだ簡単ではありますが、以上がスポーツ360とスポーツ500のバイオグラフィーです。
 



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