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T360のエンジン「AK250E」はSports360のエンジンをデチューンしたもの?

 

 
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T360のエンジンは、元々はスポーツ360用に開発されたもの
こんな話を聞いたことがある方は、案外多いんじゃないだろうか?
例えば、「T360 エンジン」というキーワードでググると、そういう風なことが書かれているサイトがいくつもヒットする。↓

●このエンジンは、T360と並行開発されていた2座席スポーツカー用に企画されたもの。
軽トラック用には別のエンジンを開発する案もあったが、これから4輪メーカーとしての実績を作ろうという時期、別々のエンジンを与えるのはコスト面で負担が大きい。
そのためトラックにも、スポーツカー用のハイメカ高回転エンジンを搭載することになったのだ。
ttp://www.honda.co.jp/SEEVERT/gallery/12_t360/
 
●S360は「軽自動車でスポーツカーは望ましくない」と、結局中止となり、エンジンだけが軽トラックへと受け継がれました。本当はトラック専用のエンジンを開発する予定もあったのですが…
ttp://www.hinanet.ne.jp/~k-truck/town1.htm
 
●1962年の全日本自動車ショーに参考出品されたホンダS360(市販化されず)用に開発された排気量354ccの水冷直4DOHCエンジンを流用し、アンダーフロアにミッドシップで搭載。
ttp://www.motormagazinesha.co.jp/medialog/modules/tinyd12/index.php?id=22
 
●S360のエンジンを採用したとんでもない軽トラック(T360)が事前に発売されました。これがホンダの最初の4輪車となりました。)
ttp://members.jcom.home.ne.jp/tricrest/car/s800/s800story.html
 
●S360(ショーモデルのみで発売されず)というオープンスポーツカー用に開発されたエンジンを流用した ため、高回転型で(当時としては)高出力。わずか360ccで30馬力を誇った。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BBT360
 
●T360がDOHCを採用したことには、要求性能という観点からは特に意味はなく、創立者の本田宗一郎氏が「ホンダの車には最高のエンジンを積め」と命じたせいである、とされている。
ttp://www.weblio.jp/content/DOHC
 
●1963年8月に発売されたホンダ初の市販四輪車が、この軽トラック「T360」。
前年の東京モーターショーに出展されたものの、ついに市販されなかった軽スポーツ「S360」用をデチューンした水冷直4DOHC4キャブレターエンジンは、359ccから30psを発生した。
ttp://www.webcg.net/WEBCG/essays/000016021.html
 
この他に、「開発中のエンジンの中で直ぐに使えそうなものがスポーツ360のエンジンしかなかったため、そのエンジンをデチューンしてT360に搭載した」という話を雑誌か何かで読んだことがある。
これらを要約すると…
 
・T360のエンジンは、元々スポーツ360用に開発されたものだった。
・スポーツ360のエンジンをデチューンしてT360に搭載した。
・軽トラック用のエンジンを開発する予定があったが開発されなかった。
 
…の三つになると思う。
この三つのうち特に上の二つは、現在T360のエンジンに関する定説になっていると言って過言でない。
 
確かに、開発の陣頭指揮を執った中村良夫氏も「HONDA SPORTS S360〜S800M」(三樹書房:初版1990年)の中で、『もちろんAKのほうがSのエンジンを共通したのであって,ツイン・カム,4連キャブという強烈な軽トラック・エンジンになった』と述懐している。
T360・スポーツ360の生みの親と言っても過言ではない中村氏にそう言われては、神様仏様でも反論の余地はなそうだが、実際は然に非ず。
実は、同じく中村良夫氏が1962年に記した「技研に於ける4輪開発の経過」というレポートには、上記の定説を肯定するようなことはひとつも書かれていないのである。
というか、レポートを読むかぎりでは、定説は間違っているとしか思えないのだ。
 
因みに、1962年というのはT360とスポーツ360が設計・製作・公開された年である。
「HONDA SPORTS S360〜S800M」が発行されたのは、T360・スポーツ360が誕生してから28年後の1990年。
およそ30年前の記憶を元に書かれた「HONDA SPORTS S360〜S800M」と、T360とスポーツ360の開発が進行中であった時期に書かれた「技研に於ける4輪開発の経過」のどちらが信憑性が高いかは、言わずもがなだろう。
28年もの隔たりがあれば、中村氏の記憶に齟齬が生じても全く不思議ではない。
 
ということで、この稿では私が最も信頼を寄せている資料である「技研に於ける4輪開発の経過」を元に、T360に搭載されたエンジン「AK250E」の素性を明らかにしようと思う。
AK250Eがどのような経緯で誕生したのか、またSports360のエンジンとはどのような相関関係があるのかを、今後何回かに分けて解説しますので、どうぞお楽しみに。



試作軽トラック第1号 XA-120
 
中村良夫氏を筆頭とする四輪車開発部隊に、「軽トラックを’60年夏までに完成。’60年末に市場に供給しうるように!」という計画が強力に指示されたのは’59年12月だった。
試作軽トラックには「XA-120」の開発コードが与えられ、早速開発が始められたが、当時の四輪開発部隊の設計員(中村良夫、堀池三郎、栗原清、中島源雄、森潔、塚田虎雄、中川和夫、岡田元浩、松本正雄の9名)のみで’60年夏までに試作車を完成させることは不可能だっため、’59年秋から’60年初めまでに7名の補充が行われた。
 
XA-120を開発するにあたって提示されたコンセプトは以下の3つであった。
 
1. エンジンは水平対向空冷4シリンダー。(積載時 90km/h以上) 
2. 軽トラックの中で最大の積載面積を持つこと。(具体的には最も大きな洋服ダンスが積めること) 
3. 前後ともリジットアクスル、リーフスプリング支持とすること。
 
提示された3つのコンセプトに対して、中村氏は次のような所見を述べている。
『1.2.は問題なきも、3.についてはXA-170XA-190の経験から類推しても90km/h走行を可能にし、かつ安全性を確保するためには如何にしてもフロントリジットアクスルは不可であり、トレーリングアーム形式、またはウィッシュボーン形式の独立懸架とするべきことを設計提案したが却下され、上記の企画指示そのままの形で具体的レイアウトに入った。』
  
皆さんご存知のように、T360は軽トラックであるにも関わらず前輪にダブルウィッシュボーンの独立懸架が奢られているが、これはスポーツ360と部品を共用したからそうなったのではなくて、上記のように最初の試作軽トラック開発時から独立懸架にすべきと中村氏が提案していて、それが実現したものなのである。 
軽トラックで90km/h以上(積載時)の高速走行を可能とするには、前輪独立懸架は必須の要件だったのだ。
 
2.の要件を満たすため、XA-120のボディはセミキャブオーバー形式に、エンジンの搭載位置はアンダーフロアとされた。
セミキャブオーバー形式/アンダーフロアエンジンは、以後T360まで踏襲される。
 
さて、当初市販を前提として開発が始まったXA-120だが、’60年3月頃から量産化は漠然としはじめ、同年5月頃には不急の研究試作となってしまう。
また、’60年春頃に30PSのエンジン出力を達成することが強力に指示され、このコンセプトはT360まで踏襲されることになる。
 
研究試作となってしまったXA-120だが、5月末にシャシー組み立てが完了し、6月には荒川のテストコースで完熟走行が行われ、8月に敢行された長野方面への長距離テストをもって本格的なテストの開始となり、以後’61年の春頃まで走行テストが続けられる。
テスト結果などの詳細は「各試作車の開発の経緯」のXA-120のページを参照下さい。
 
 
XA-120のアップグレード版 2X-120
 
XA-120は不急の研究試作となってしまったが、軽トラックの試作は続けられ、XA-120のアップグレード版とも言える2X-120の開発が’60年6月に開始される。
 
2X-120に課せられた課題は、主に以下の2つであった。
 
1.キャビンとセットバック(荷台)関係の熟成 
2.油冷却器を用いることなくエンジン油温を100℃以下に抑える(ファンシュラウドを二重壁のオイルサンプとする設変(せっぺん:設計変更)を織り込む) 

 2X-120のエンジン本体、シャシー本体は個々の改修以外XA-120の延長であったが、1.をクリアするためボディは造形そのものが改められ、平面的な実用度の高いものになり、全部品が新設計された。
しかし、当時のホンダの四輪部門は設計・組み立て・艤装・板金試作能力の全てが不足しており、また他機種との関連もあって2X-120のボディ試作は延引に延引を重ね、最終的には大和工業KKに外注に出されることになる。

そうしてようやく完成した2X-120だが、水平対向4シリンダー・2気化器では1気化器につき不等間隔吸入となるため7500〜8000rpm以上の回転は望めず、30PSの出力要求を達成することは出来なかった。
エンジン出力30PSを実現するには9000〜9500rpmで回す必要があり、そうなるとアンダーフロアで対向4シリンダー形式は不可能に近く、直列4シリンダーに頼らざるを得なくなり、新しく3X-120の開発を始めることになる。
 


 
つづきはまた次回。



 


直列4気筒DOHCエンジンを搭載した 3X-120とXAK-250
 
軽トラックを試作するにあたって(本田宗一郎から?)出された指示項目に従って、XA-1202X-120には空冷対向4シリンダーエンジンが搭載されたが、アンダーフロアー形式という天地方向のスペースに制約があるエンジン搭載方法では2基の気化器しか装備できず、7500〜8000rpm以上の回転は望めなかったため、30psという要求出力を達成することは出来なかった。
そのため、直列4シリンダーエンジン3X-120が開発されることになったことは前回書いた。
 
ここで少々余談になるが、中村良夫氏が『技研に於ける4輪開発の経過』(芸文社 Nostalgic Hero Vol,88に掲載)に記した、3X-120の開発が始まるまでの経緯についての所感を紹介しようと思う。↓
 
『1X(注1)、2X(注2)の経験集積を無視し、25psではダメで30psを出さなければホンダの軽トラックとして市場性なしという判断が妥当か否かの結論は追求されないままに2X-120を中途で投げ出すような形で3Xに移行してしまったのであるが、62年11月の現在、2XAK-250(注3)のコスト高と高品性が議論され、あたかも2X-120程度のコストが一般車並で性能は2〜3割増という車が要望されていることを考え合わせて切歯(注4)の感にたえない。
いずれにしても、このような強力な指示のもとに2X-120、1号車が走り出すと1ヶ月も経ず、61年6月末には3X-120の設計を開始している。』
注1:XA-120  注2:2X-120  注3:T360の2番目のプロトタイプ
注4:せっし/きわめて無念に思うこと
  
少々分かりにくい文章なので、僭越ながら意訳させて頂くと…
『会社の上層部(本田宗一郎?)は、ホンダの軽トラックは30psでなければ市場で認められないと言うが、市場が求めているのは2X-120のようなコストは他車並で性能は他車の2〜3割増しのクルマであって、この市場の要求は開発部隊がXA-1202X-120の経験から出した結論と合致していることを考えると、これを無視されるのは無念でならない。
しかしながら、上からの強い指示で2X-120のテストもろくに行われていないまま、3X-120の開発が始まってしまった。』
…というような感じになると思う。
 
中村氏は市場の要求に迎合した売れる車を作ることを切望し、会社の上層部(本田宗一郎?)はあくまでもホンダとしての独自色を出すことに固執していたようだ。
エンジン出力30psを標榜した3X-120の開発が始まったと言うことは、中村氏(現場)の意見は退けられ上層部の命令が優先された訳である。
 
本題に戻る。
さて、3X-120だが、前述のような理由でエンジンは直列4シリンダーとなった。
また、9000〜9500rpmの高回転を実現するため独立ポートとし、気化器も各気筒ごとに配された。(2気化器バージョンもあった由)
冷却方式が空冷であったことと、平面軸受け(5点支持)であったことがAK250Eとの大きな相違点である。
また、プロペラシャフト長の関係でトランスミッションをクランクケースの横腹に抱き合わせていた点もAK250Eとは異なる。
尚、このエンジンを設計したのは久米是志氏で、彼の証言によればこの空冷直4エンジンからDOHC化されたそうである。

3X-120の開発スケジュールは、’61年10月エンジン出図、11月ボディ・シャシー出図(設計員16名)、試作1号エンジン組み立て完了’62年1月、ボディ組み立て完了’62年4月となっているが、3X-120のエンジンは(おそらく空冷だったからだと思うが)重量・容積ともに過大で、エンジンの組み立て完了以前に、30psの出力要求、車としてのエンジン重量・容積などから水冷直4形式とすべきことが確認され、次の試作車XAK-250(T360のプロトタイプ第1号)の計画が進められることになる。
XAK-250の計画が始まった時期だが、3X-120のエンジン組み立てが完了(’62年1月)する1ヶ月前とのことなので、’61年末から’62年1月初旬頃と推測される。
XAK-250の開発スケジュールは、以下の通り。
’62年2月レイアウト完了、3月初旬エンジン出図完了、4月末シャシー・ボディ出図完了(設計員16名)、5月末車体の組み立て完了、6月5日ホンダ会出展。


 (クリックで拡大表示)

XAK-250には、直列4気筒・4連キャブ・独立ポートという形式が3X-120から受け継がれたが、冷却方式が水冷となり、クランクの軸受けは転がり軸受けに変更され、トランスミッションの搭載位置はエンジン後部に改められた。
ことここに至って、ようやく水冷直列4気筒、4連キャブ、独立ポート、転がり軸受け、30psの高出力エンジンが誕生 するのである。 
 
ということで、AK250Eの水冷、直4、独立ポート、4連キャブという仕様は、実は全て軽トラックで30ps(=高速走行)を実現するために採用されたものだったのである。
水冷化はエンジン重量・容積を小さくするため、直4はアンダーフロア形式で独立ポート・多連キャブを実現するため、独立ポート・多連キャブは30psの高出力を得るため
レーシングカーのそれのようなAK250Eの仕様は、すべて軽トラックを開発する過程で決められたものだったのである。
Sports360は関係ない。
つまり、AK250Eに関する定説(↓)は大間違いなのである。
 
・T360のエンジンは、元々はスポーツ360用に開発されたものだった
・スポーツ360のエンジンをデチューンしてT360に搭載した
・軽トラック用のエンジンを開発する予定があったが開発されなかった
  
さて、とは言ってもT360とスポーツ360に搭載されたエンジンが、基本設計を共有していたのは事実である。
では、T360とスポーツ360のエンジンには果たしてどのような相関関係があったのだろうか?
実はその辺のことは、この稿のネタ元である『技研に於ける4輪開発の経過』(芸文社 Nostalgic Hero Vol,88に掲載)には書かれていない。
しかし、両車の開発のスケジュールを見ればそれはある程度想像がつく。
次回はそのT360とスポーツ360の開発スケジュールについて書きます。



エンジンを流用していたのはスポーツ360の方だった!?

今回は、前回予告した通り、T360(XAK-250)とSports360(TAS-260)の開発スケジュールについて書こうと思う。

まず、本題に入る前に確認しておきたいのは、T360のエンジンに関する定説である。
一般に広まっているのは「S360のエンジンをデチューンしたものがT360に搭載された」で間違いないと思う。
この定説が正しければ、TAS-260はXAK-250よりも先に完成していたことになる。
何故なら、この世に存在しないエンジンを流用することは不可能だからだ。
XAK-250がTAS-260のエンジンを流用したということは、XAK-250が完成する以前にTAS-260のエンジンは完成していたはずである。
  
では、XAK-250とTAS-260の実際の開発スケジュールはどうなっていたのだろうか。
XAK-250の開発スケジュールについては前回紹介済みなので、今回は『技研に於ける4輪開発の経過』(芸文社 Nostalgic Hero Vol,88に掲載)の中からTAS-260の開発スケジュールに関する記述を以下に紹介する。
尚、TAS-260の開発の経緯については「各試作車の開発の経緯」で詳しく解説しているので、参照頂きたい。
-------------------------------------------------------------------------
 TAS-260(Sportsスポーツ360、スポーツ360、S360)
 
XAK-250と)同様に62年1月、5月の全国ホンダ会総会に軽スポーツ車を出品することが指示、企画されスペースフレーム、ポリエステルボディのTAS-260も(XAK-250と)ほとんど同時期に出図され、いずれも特急作業によって62年5月末、展示試作車が組み立てられた。
内容その他については最近のことであるので省略する。
-------------------------------------------------------------------------
XAK-250とTAS-260の開発スケジュールを併記すると↓こうなる。

XAK-250の開発が始まったのは3X-120のエンジンが完成する前。(3X-120のエンジンが完成したのは62年1月)
TAS-260の開発が指示されたのは62年1月で、XAK-250とほぼ同時期
上記のように図面が出来上がったのも2車は同時期。 車が完成したのも同時期
ということで、残念ながらTAS-260はXAK-250よりも先に完成していない。
つまり、TAS-260のエンジンをXAK-250に流用することは物理的に不可能なのである。
  
XAK-250のエンジンが水冷直4、独立ポート、多連キャブになった理由は前回書いた。
軽トラックの試作を重ねた結果辿り着いたのが上記の仕様なのである。
TAS-260の方はというと、XA-190以降スポーツカーの開発は行われていなかったため、直接のルーツとなる車は存在しない。

所謂ポッと出のTAS-260が、XAK-250とエンジンの基本設計を共有していたということはどういうことだろうか?
エンジンの仕様が先に決まっていたのは、当然 XAK-250の方である。
ということは、TAS-260がXAK-250の仕様を共用したことになる。
つまり、順番をつけると「XAK-250→TAS-260」となるのである。
そうなると「T360のエンジンはS360のエンジンのデチューン版」ということはあり得ない。
正しくは「TAS-260のエンジンはXAK-250のエンジンのTune Up版」だろう。
ホンダSシリーズの始祖であるSports360のエンジンは、実は軽トラックのエンジンから派生したものだったのである。
 
因みに、XAK-250とTAS-260のエンジンを設計したのは久米是志氏。
両車のエンジンが設計されたのはほぼ同時期で同一人物が設計したとなると、あるいはTAS-260の方が先に設計されてXAK-250にその設計が使い回された部分があったかもしれない。
しかし、それをしてXAK-250のエンジンはTAS-260の流用だとは言えない。
それは単に設計を共用しただけである。 
また、両車のエンジンの出図は同時期なので、どちらか一方が先に設計されて、もう一方が後から設計された可能性は殆どない。
つまり、TAS-260のエンジンが先に設計されて、それを基にXAK-250のエンジンが設計されたということはまずあり得ないのである。
 
ということで、T360のエンジンに関する定説はどう考えても誤りなのだ。
 
私の「TAS-260のエンジンはXAK-250のエンジンのTune Up版」という珍説、信じてもらえるだろうか?
 
 
07/05/22 追記※このページ初見の方は、ページの最上部よりご覧下さい。
私の主張の妥当性を担保してくれる有力な物証を入手したので紹介しようと思う。
その物証とは何かというと↓これ。
 
これは、ホンダの社内広報誌『PolePosition Vol,57』に掲載された、「Honda4輪の原点 T360」という記事。
本来ならば、この記事の内容をテキスト化してアップするところなのだが、今回は自説の妥当性を証明するための証拠として引用するので、当該部分を撮影した画像をアップした。
重要なのは赤線を引いた部分。(この中でひとつ間違えを指摘すると、同時に開発されたのは“T360とS500”ではなくて“T360(XAK-250)とSports360(TAS-260)”である)
ご覧のように、記事にはAKとASがほとんど同時に開発されたことや、エンジンの基本設計が共通であったこと、また開発者の証言を引用して「AKのエンジンはASの流用」という定説が実情とは異なっていたことが明記されている。
PolePositionの記事と、中村良夫氏が記した『技研に於ける4輪開発の経過』の内容は全く矛盾しない
AKやASの開発に携わった当事者の証言と、同じく当事者が記したレポートが矛盾しない以上、何が真実であるかは言わずもがなだろう。
やはり、定説は間違いなのである。
 
AKをSports360の化身と信じて疑わない向きには、以上のような事実は受け入れ難いかも知れない。
しかし、事実を曲げることは何人たりともできないし、また事実を歪めることは即ち歴史を冒涜することになる。
ここで言う歴史とは、AKやASの開発に関わった方達の“努力と労苦の足跡”のことだ。
AKに思い入れを持つ人間ならば、歴史を冒涜するようなことは慎み、事実を真摯に受け入れるべきではないだろうか。
 
(この稿、これにてお終い)
 



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